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佐野元春 & HKB TOUR 2008 "SWEET SOUL, BLUE BEAT" 2008/3/29 NHKホール

以下の文章は、2008年3月のliveを観に行った次の日に怒りにまかせ感情的に書いたもの。
かなり批判的な内容だったので、半年以上冷却期間を置いた。
それでも気持ちが変わることがなかったので、そのまま当時のblogにpostした。

そしてそれからさらに5年近く経ち、読み返してみたところ、
今読んでみても感情的に書いた割にはいい内容だと思ったので、
またpostすることにした。

表記や改行位置など多少修正したけど、内容自体は変えていない。

-------------------- ここから --------------------
正直、ギリギリまで観に行くかどうか迷っていた。
人間嫌いになっている時に、人混みの中に行くことが気が進まなかったから。

そしてこれまで 2度元春のliveには行ってるけど、2回とも嫌な観客に遭遇していたから。

まあ、同じファンなんだから、広い心で楽しもうと決心して行ったのだけど……
見事にハズレ。
隣と前の観客が最悪だった。

それでも元春のperformanceは素晴らしかったので、曲が進むにつれて気にならなくなっていった。

でも後半から段々気持ちが冷めていった。

何故か。

album "COYOTE"を受けてのtourだったので、"COYOTE"からのsongsが中心かと思いきや、
ほとんどが80年代作品。

どうも、
80年代の曲は大好きだけど、90年代以降の曲はあまり好きじゃない、
という観客が多かったような気がした。

隣の席の人はまさにそうだった。

それをライヴが進むにつれて感じるようになり、それにつれて気持ちも段々と冷めていってしまった。

liveの楽しみ方は、感じたままに踊り、手を叩き、足を踏み鳴らし、そして叫ぶものだと思っている。

でもliveで何度も演られてる曲だと、観客の定番の振り付けがあって、観客の多くが揃って同じ動きをする。

私がliveに行くのは、musiciansのperformanceを楽しむためであって、観客と一体になりたいからじゃない。

定番の振り付けを皆が揃ってやることは、宗教じみていて、どうしても嫌悪感を感じてしまうのだ。

今まで何人かのliveを観たけど、
定番の振り付けを観客がやるなんてのは、アイドルのコンサート以外ではあまり記憶がない。

せいぜい長渕剛の"勇次"の時のクラッカーぐらいだ。

教祖とか、カリスマとか言われてた尾崎豊のliveだって、そういうものはなかった。
すごいアットホームで、皆が思い思い感じるままに表現していた。

だから、
新しい曲へのノリが悪く、昔の曲にだけ思い入れがあり、定番の振り付けを嬉々としてやる人たちを見ると、
気持ちが冷めていくのを止めることができなかった。

佐野元春は過去のスターじゃなくて、今も先頭を走り続けるトップアーティストなのだ。

こういうのって、ベテラン・アーティストのliveの宿命なのかしら。

Neil Youngのliveの観客はもっとあからさまだったからな。

もう思い切って、
"サムデイ"、"ロックンロール・ナイト"、"悲しきレイディオ"のような型が決まった定番曲は、
liveでは演らない方がいいんじゃないかしら。

3曲とも私も思い入れのある曲なんだけど、
同じような演奏で毎回演られると心の底からノルことができない。

私が元春を好きな理由の一つとして、
liveではstudio albumとは違ったarrangementでperformanceしてくれる、
っていうのがあるから。

でも、私のライブ観の方が間違っているのかしら?
liveは宗教みたいなもんで、皆と一体になるのが正しいのかしら?
観客に過去の思い出でマスターベーションする場を提供するのが、ベテラン・アーティストの義務なのだろうか?

でもそんなのは嫌だ。
ヌルイperformanceをしたらブーイングするぐらいの距離感がある方が、私は好きだ

まあ、最近のsongsでのノリが悪いってのも観客の自由な反応じゃないか、と言われれば確かにそうなんだけど。

学校で教える歴史

以前、10年単位で歴史の出来事は覚えておけばいいとtweetしたけど、
江戸時代よりも前のことに関しては、50年単位でいいかもしれない。

例えば、
10世紀前半には、"こういうこと"や"こういうこと"や"こういうこと"が起こった。
その理由はこういうことで、その結果日本の社会はこのように変化した。
という感じで50年単位で出来事の流れを覚えておけばいいと思う。

歴史を教えるということは、1年単位の年号を覚えさせるということではない。
結局、
年号だけ覚えていて、
この出来事が日本にとってどういう意味があったのかを理解していないのであれば、
歴史を教える意味なんてない。

英語の発音とカタカナ

英語学習本に書かれてるカタカナ表記の通りにpronounceするのはやめた方がいい。
そもそも正確にカタカナで再現することはできない。
せめて4段階の大きさの文字を使って表記しないと表現できない。

聴こえ方も人それぞれ微妙に違うはずだ。
それを無理にカタカナで表記して、さらにそれを他の人が読むと、絶対大きなズレが生じる。
自分でカタカナで表記したものを自分で読む限りは、ある程度再現できるだろうけど。

だから、自分の耳で聴こえたように発音するのが一番。

自戒: 嫌いなものにこだわるな!批判するために調べている時間がもったいない。

そもそも自分が批判したい人や主張は、
ネットで調べてみると、
すでに、同じように感じて色々と調べて批判している人が、少なからずいることがわかる。

だから私がこれから調べて、すでにある批判よりもレベルの低い批判をする必要なんかない。

せいぜい、批判したい人の名前で検索して、
自分の判断に間違いがないことを確認するだけにしておく。

テレビなどのOldメディアの情報に触れると、
何でこんな人を、こんな主張をみんな信じているんだ、と思ってしまうけど、
ネットで調べると、
健全な判断力を持っている人は決して少なくはないことがわかる。

だから、信用しない人のことはもう今後一切考えない。
無視する。
わざわざ調べない。批判しない。
とにかく無視。

信用しない人の名前をわざわざあげることもしない。
そんなことをしたら、不毛な議論に巻き込まれるだけ。

もう私の人生は後半戦に入った。
不愉快なことに費やせるほどの時間はない。

厄年

今年は老眼が始まった。

去年からは頭痛の回数が増え症状も悪化した。
これまでは、頭痛は月に2,3度ぐらいで、バファリンを1回飲めば治まった。
でも去年の後半から、軽い頭痛も含めると月の半分以上頭痛が起こるようになった。
しかもそのうちの数回は、バファリンを2回飲んでもまったくよくならいほどのひどい頭痛。

そして、去年の後半から、腸の調子もより悪くなった。
もともと腸は弱かったんだけど、去年の後半からは毎日調子が悪い。
なので今年に入ってからは、ビオフェルミンだけでなく、
"イージーファイバー"という特保の食物繊維を毎日服用するようにした。

去年は本厄で、今年は後厄。

つまり、見事に厄年に体の調子がはっきりと悪くなった。

(注意! 以下の厄年の解釈は一般的なものとは違う俺解釈です)

昔の人は本当によく考えて厄年の年齢を設定したんだなあと、感心。

これまで大丈夫だったことが大丈夫でなくなる年齢を、厄年として設定したのだろう。
厄年が3年間なのは、個人差があるから。
大体この3年間で体質が変わるという感じで設定したのだろう。

厄年に神社でお祓いをするのは、
昔は病気は、怨霊や物の怪などのよくないモノのために起こると信じられてたから。

現代においては、お祓いをするよりは、体により気をつかうようにしないといけない。

そういう理解だったから、去年から野菜を食べる量を徐々に増やし始めた。
でも、そんなちょっとした生活改善だけでは、老いには勝てないようだ。

もっと気合を入れて、生活改善をしなければ。

42歳にして老眼(老視)始まる。

2週間前に、ついに老眼が始まった。

薬の瓶の説明を読もうと、いつもの感じで瓶を眼の近く(眼から20cmぐらい)にもっていったら、
まったく文字が読めなかった。
眼から30cm近く離したら読めるようになった。

何ヶ月か前から目がかすみやすくなっていたので、実際はその時から始まっていたのだろう。
眼の運動は3日に1回はやってたんだけど、
ピントを合わせる運動はしていなかったので、それを毎日することにした。

老眼が始まると良くなることはないそうだ。
それでも進行を遅くすることはできるようなので、できることはやってみる。

2月から4月に花粉症の薬をもらうために眼科に通っていた。
毎月1回は視力と眼圧の検査がある。
今年は視力は両目とも1.2だった。

実際は1.5のものも見えていたんだけど、ぼやけた感じだったので「わかりません」と答えた。
でも、「わかりません」と言い終えた時にははっきりと見えるようになった。
つまり3秒ぐらいピントが合うのに時間がかかったわけだ。
この時にそのことを検査をした看護婦さんに伝えていれば、その時点で老眼と診断されたのかもしれない。

やっぱり老眼が始まったのはかなりショック。
つまり、人生は完全に後半戦に入ったということだ。

千葉県のタクシーは禁煙です

千葉県タクシー協会, 千葉県個人タクシー協会所属のタクシーは、
5年も前から全面禁煙になってるようだ。

Link: 千葉県のタクシーは禁煙です - 千葉県タクシー運転者登録センター

「快適性の向上」も禁煙の目的になってるから、
乗客がいない時でもドライバーは、車内で喫煙してはいけないはずなんだけど、

たまにタクシー内でドライバーがタバコ吸ってるのを見かけるのはなぜ。
もちろん、ちゃんと禁煙車という表示のあるタクシーの中で。

喫煙者にはわからないだろうけど、
私のように生まれてから一度もタバコを吸ったことのない人間は、喫煙されてる車はすぐにわかる。
消臭剤や空気清浄器付けたって無理。

まあ、全面禁煙になる前からタクシードライバーをやってる人をあまり締め付けると危険だから、
あまり厳しくしていないんだろう。

そもそも、

旅客自動車運送事業運輸規則49条第2項に旅客のいる事業用自動車での乗務員の喫煙を禁止する条文があるため、禁煙表示タクシーでなくともタクシー車内に乗客が乗車しているときは運転手の喫煙は禁止されている。

となってるのね。知らなかった。