世界は"UNIX的"にできている
糸井重里さんのインターネット的が再評価されてるようなので、それに対抗して力こぶいれて言い切ってみた。
過去に似たようなこと何人も言ってるような気はするけど。
小学生にEnglishを教える前にやらなくてはいけないこと
国際人になるためには小学生のうちからEnglishを学ばせる必要があるそうだ。
左様にEnglishが大切ならそれよりも先にやることが山のようにあると思う。
まず人名の片仮名表記をやめること。
大体勝手に人の名前を実際の発音とかけ離れた片仮名に変えることを失礼だと感じないんだろうか。
地名や商品名などの固有名詞も当然English表記のまま。
会社や国が片仮名表記を指定してきた場合以外で勝手に片仮名に変えるのは止めるべきだと思う。
しかし国は逆の方向に向かっている。
コンピュータがコンピューターと表記するようになったが、「た」という強い語にさらに横棒を付けたら、ますます実際の発音からかけ離れるとは思わないのだろうか。
今よりも日本語とEnglishの混在した文章を書きやすくするようなsystemが出来れば、無理な片仮名変換をやることがなくなるのかもしれない。
最後に。まず英語教育をEnglish教育と言うことから始めてはいかが?
Playが主で、楽器が従
The WhoやJimi Hendrixのように
楽器を壊したり、燃やしたりする行為に興奮するのは、
これらの行為により
彼らにとっては"playが主で楽器が従"
だということが感じられるから。
Charlie Parkerのように人から借りた楽器でplayする人や、
ボロボロの楽器をいつまでも使い続けるmusiciansを
好ましく感じるのも同じ理由。
バイオリンよりもフィドルのplayの方が心にしみるのも。
"ドカベン"の決勝戦は、山田対あぶさん?
"あぶさん"があと3回で終了ということで、いよいよ現実味を帯びてきた、
"ドカベン"での決勝の相手はあぶさん率いるソフトバンクホークス。
スーパースターズと対戦するに相応しいチームが1つ足りないので、
もしかしたら、と思っていた。
そして新生メッツではなく旧メッツ勢の登場、
さらには藤村甲子園が現役として登場。
完全な水島漫画総力戦の様相を呈してきた。
"大甲子園"では、藤村甲子園は引退してお祖父さんと同じ甲子園球場のグランドキーパーになっていて、時系列を重視していた。
そしてもちろん"あぶさん"関係者は一人も出てこなかった。
これが今回の"ドカベン"最終シリーズでは時系列を完全に無視している。
"男どアホウ甲子園"は単に古いってだけじゃなくて、
"一球さん"は"男どアホウ甲子園"の続編だからね。
さらに私の知らない漫画の選手や子供まで登場。
となると"あぶさん"が出てこないわけがない。
景虎のバッター転向は、そのための布石ではないかと思っていた。
しかも最近、"肩が治って投手としても復活すること"を臭わせ始めた。
そんな中で"あぶさん"があと3回で最終回。
となると、バッターだけでなく投手としても復活した景虎と、
代打として登場するあぶさんのいるホークスが
決勝の相手になるとしか思えなくなった。
一応、あぶさんは助監督を辞任したけど、
ドカベンの決勝はおそらく1年後ぐらいだから、
代打専門でトーナメントの決勝だけの現役復帰
ってことになるんじゃない。
J-WAVE 東京REMIX族 終了
ラジオ版"タモリ倶楽部"ともいえる、J-WAVEの東京REMIX族が今月いっぱいで終了するそうだ。
残念!
http://www.j-wave.co.jp/original/tokyoremix/
いつのまにかdocomoがスポンサーでなくなっていた。
docomoに代わるスポンサーをギリギリまで探したけど結局見つからず、
残り2回しかない時点での突然の発表となったのだろうか。
まあ、このようなマニアックな番組がJ-WAVEで6年3ヶ月も続いたこと自体奇跡だったのだろう。
山田五郎さんと渡辺祐さんというタモリ倶楽部ファミリーが2人も出ているJ-WAVEの土曜日。
その内の1つがついに陥落。
とにかく、残念。
佐野元春 & HKB TOUR 2008 "SWEET SOUL, BLUE BEAT" 2008/3/29 NHKホール
以下の文章は、2008年3月のliveを観に行った次の日に怒りにまかせ感情的に書いたもの。
かなり批判的な内容だったので、半年以上冷却期間を置いた。
それでも気持ちが変わることがなかったので、そのまま当時のblogにpostした。
そしてそれからさらに5年近く経ち、読み返してみたところ、
今読んでみても感情的に書いた割にはいい内容だと思ったので、
またpostすることにした。
表記や改行位置など多少修正したけど、内容自体は変えていない。
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正直、ギリギリまで観に行くかどうか迷っていた。
人間嫌いになっている時に、人混みの中に行くことが気が進まなかったから。
そしてこれまで 2度元春のliveには行ってるけど、2回とも嫌な観客に遭遇していたから。
まあ、同じファンなんだから、広い心で楽しもうと決心して行ったのだけど……
見事にハズレ。
隣と前の観客が最悪だった。
それでも元春のperformanceは素晴らしかったので、曲が進むにつれて気にならなくなっていった。
でも後半から段々気持ちが冷めていった。
何故か。
album "COYOTE"を受けてのtourだったので、"COYOTE"からのsongsが中心かと思いきや、
ほとんどが80年代作品。
どうも、
80年代の曲は大好きだけど、90年代以降の曲はあまり好きじゃない、
という観客が多かったような気がした。
隣の席の人はまさにそうだった。
それをライヴが進むにつれて感じるようになり、それにつれて気持ちも段々と冷めていってしまった。
liveの楽しみ方は、感じたままに踊り、手を叩き、足を踏み鳴らし、そして叫ぶものだと思っている。
でもliveで何度も演られてる曲だと、観客の定番の振り付けがあって、観客の多くが揃って同じ動きをする。
私がliveに行くのは、musiciansのperformanceを楽しむためであって、観客と一体になりたいからじゃない。
定番の振り付けを皆が揃ってやることは、宗教じみていて、どうしても嫌悪感を感じてしまうのだ。
今まで何人かのliveを観たけど、
定番の振り付けを観客がやるなんてのは、アイドルのコンサート以外ではあまり記憶がない。
せいぜい長渕剛の"勇次"の時のクラッカーぐらいだ。
教祖とか、カリスマとか言われてた尾崎豊のliveだって、そういうものはなかった。
すごいアットホームで、皆が思い思い感じるままに表現していた。
だから、
新しい曲へのノリが悪く、昔の曲にだけ思い入れがあり、定番の振り付けを嬉々としてやる人たちを見ると、
気持ちが冷めていくのを止めることができなかった。
佐野元春は過去のスターじゃなくて、今も先頭を走り続けるトップアーティストなのだ。
こういうのって、ベテラン・アーティストのliveの宿命なのかしら。
Neil Youngのliveの観客はもっとあからさまだったからな。
もう思い切って、
"サムデイ"、"ロックンロール・ナイト"、"悲しきレイディオ"のような型が決まった定番曲は、
liveでは演らない方がいいんじゃないかしら。
3曲とも私も思い入れのある曲なんだけど、
同じような演奏で毎回演られると心の底からノルことができない。
私が元春を好きな理由の一つとして、
liveではstudio albumとは違ったarrangementでperformanceしてくれる、
っていうのがあるから。
でも、私のライブ観の方が間違っているのかしら?
liveは宗教みたいなもんで、皆と一体になるのが正しいのかしら?
観客に過去の思い出でマスターベーションする場を提供するのが、ベテラン・アーティストの義務なのだろうか?
でもそんなのは嫌だ。
ヌルイperformanceをしたらブーイングするぐらいの距離感がある方が、私は好きだ
まあ、最近のsongsでのノリが悪いってのも観客の自由な反応じゃないか、と言われれば確かにそうなんだけど。