My Memories前史
これから、小学校に入学する前までの思い出を3回に分けて書く。
もちろん他人が読んで面白いものじゃない。万が一のために記録しておきたいため。
小学校の6年間は暗黒時代なので記録しない。小学校に入学する前が一番幸せだった。
まずは、記憶に残っていない時のこと。
3歳までの記憶はほとんどない。
生まれたのは曽於郡輝北町に住んでいたとき。
ただ実際に生まれたのは、隣の鹿屋市の病院。
1歳まで輝北町に住んでいた。
もちろん輝北町時代の記憶なんてない。
それだけでなく、どんな乳児だったかもまったくわからない。
なぜなら6歳になるまでの写真が一枚も残っていないから。
両親に聞くと、「あんまりかわいくて、親戚にあげてたら、みんななくなってしまった」、とのこと。
とてもじゃないが、信じられない。
4歳上の兄の写真は乳児の時からずっとたくさん残っているのに。
一応、一枚だけ残っている。
といっても、兄を写した写真の奥にベッドがあって、そこに赤ん坊が寝ているというもの。顔は見えないので私だという確認はできない。
しかも私がどういう乳児だったかという話自体も両親から一度も教えられたことがない。
だから、実際は自分は、両親の子供じゃなくて捨て子だったんじゃないか、かなり長い間真剣に思っていた。
叔父叔母にもそのことを聞いたことがあるけど、同じような答え。
だからといって、叔父叔母たちが"もらった"という私の写真を見せてくれたことは一度もない。
この話題になると、叔父叔母たちは、私の顔の輪郭はどう見ても父親とそっくりだから、父親の子供以外考えられないと、強く主張する。
その必死さが、子供の私の疑惑をさらに強める結果となっていた。
まあさすがに今は、捨て子だったなんて思っていない。
写真がないのは、よくある最初の子供には色々手をかけるけど、2番目の子供にはそれほど手をかけない、というやつだったんだろう。
2歳から4歳までの3年間は、薩摩郡東郷町。
記憶に残っているのは、この東郷時代の4歳のときから。
ところで、私は6歳の時に1年間だけ幼稚園に通っていた。そうずーーっと思ってきた。
でも実は3歳の時、1ヶ月だけ保育園に預けられていたということを、大人になってから叔母に教えられて初めて知った。