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何千年もかけて作られてきた男社会という根本をそのままにして、小手先で変わるわけがない!

今の世界は、「男に完全に最適化された世界」だという根本を変えようとしない限り、企業単位で変えようとしても変わるわけがない!

文明が生まれたときから、男社会だった。

さらにユダヤ教キリスト教、仏教、イスラム教の誕生が、男社会をより堅固なものにした。というより女から権力を完全に奪うために世界宗教は生まれたと言ってもいい。

もちろん国のトップになった女性はたくさんいる。
だけど彼女たちを支えたのは男たちだ。

つまり女性の脳や身体に合わせたシステムを世界的に導入していかないと、企業単位の努力では変えることはできない。

今は、神経科学や、医学、そして心理学の世界では男女の性差に着目した研究が増えている。

性差を無視して男女平等など実現できない、ということをまず理解しないといけない!

生活保護法違反のローカルルール

生活保護担当者の運用に手引書として、『生活保護手帳』というのがある。

当然担当者は内容を全て把握してるはず、というかしてなきゃいけないが、

生活保護手帳の内容をすべて覚えてるわけではない」と堂々と口にする担当者がいる。

図書館で手にとってみればわかるが、公務員試験に合格した者が覚えられない分量ではない!
担当者ならすべての内容を覚えるべきだ!

別に一言一句まで覚えろ!と言ってるわけではない。
どういう項目があるかぐらい覚えられないわけがない!

運用手引書も読まないぐらいだから、生活保護に関する専門家の書く記事も読まない。

だから、生活保護法違反のローカルルールがあっても、それが生活保護法違反だということもわからない。

他の自治体では認められてることだと言っても、信じないし、自分で確かめようともしない。

受給者の多くも生活保護の決まりをほとんど理解してないから、生活保護法違反のローカルルールを適用されても、不自然に思わない。

また違反だとわかってても、どういう嫌がらせをされるかわからないし、廃止にされることが怖いから文句を言うことができない。

無知な公務員が強権を行使する。
これが日本の福祉😡

根拠なき生活保護削減。岩田正美博士「利用されたのかもしれない」

次長課長 河本バッシング以降、生活保護制度は財務省の命令通りに改悪されてきた😡
それを後押ししたマスコミも同罪だ😡

「2013年当時は、貧困と社会福祉の専門家として、社保審・生活保護基準部会の部会長代理、実質的なトップを務めていた。その基準部会が取りまとめた報告書には、「引き下げるべき」と読み取れる内容は全く含まれていない。また物価変動については、全く検討されていない。にもかかわらず、基準部会報告書は、引き下げの根拠の1つとされた」

「国側は一連の訴訟で、基準部会をはじめとする審議会などの検討結果は、厚労大臣の「判断を法的に拘束」するものではなく、「考慮要素の1つに過ぎない」としている。要は「ただの参考意見」ということだ」

「2013年1月、基準部会が報告書を取りまとめた数日後、「デフレ調整」という名目で、大幅な基準引き下げが決定された。岩田氏は「新聞報道で初めて知った」ということだ。厚労省保護課の官僚たちは、基準引き下げのための物価の検討を行いながら、素知らぬ顔で基準部会を運営していたということになる」

「岩田氏ら委員たちが正式に説明を受けたのは、2013年10月、生活保護の暖房費補助と家賃補助を見直す目的で、基準部会が再開されたときのことであった。このとき、保護課の官僚たちは「大きな財政削減効果があった」と説明し、岩田氏はそれが目的だったのだと感じた」

「国側は裁判で、「厚労大臣が物価などの経済指標を活用することについて、基準部会の委員全員の了承を得た」と主張している。しかし岩田氏によれば、そんな事実はないそうだ。そもそも基準部会では、物価の議論をしていなかったのである。そのことは、厚労省Webサイト内の議事録でも明らかだ」

「消費実態には、ある程度、物価が反映されている。値上がりすれば買い控え、値下がりすれば抵抗なく買う。そこに物価の変動を加えて生活保護基準を決定すると、物価の効果が過大になってしまう。岩田氏はこれを「二重評価」とし、2013年にそういう方法で引き下げが決定されたことについて、「たぶん高度な政治判断と推察しています」」

「一連の訴訟で国が基準部会について行ってきた主張について、岩田氏の尋問への応答には、「そのような説明は受けていない」「そのようなことは言っていない」「そのような事実はない」という内容が連続した。厚労省にとって、学術研究や学識経験者とは、いったい何なのだろうか」

「「日本を代表する社会福祉学者といえども、行政を中から変えることは難しい」という点だ。良心的な研究者は、おそらく一度は「政府の政策決定の中に入り込んで、政治を変えたい」と望むだろう。しかし、その実態は、日本を代表する第一人者である岩田正美氏をして「利用されたのかもしれない」と嘆かせるもの」

猫はしつけられないし、学習能力も低い!

猫を何十年も飼ってきた隣の部屋の老婆は、猫はしつけられると思ってる。

猫は本能的に外に出たがる。

猫は自分の言葉が分かり、躾もできると思い込んでる老婆は、真冬の風が強い日の夜、猫がいくら鳴いても部屋に入れないという、完全に動物虐待の「しつけ」をしている。

それでも、次の日は、やっぱり老婆の制止を理解することもなく、外に飛び出す。

猫の学習能力は高いと言うが、隣の部屋の老婆が餌付けしてる野良猫たちは、私が何度追い払っても、私のことを敵とは認識しない。
それどころか、私の部屋に入ろうとさえする。
私が明確に追い払う行動をしないと、ずっと私を見てる。

あと、私が流しで水を流すと、いつも餌付けしてくれる老婆が近くにいると思い込み、大声で可愛らしく泣き始める。
餌付けしてくれる老婆のいる部屋と、追い払う私のいる部屋の区別はまったく出来てない。何年経っても。

これが9年近く、隣の部屋の老婆が餌付けする野良猫たちを観察してきた結果だ。

ちなみに9年まったく同じ野良猫なのではなく、今のが5代目くらいだろうか?
2年ごとに顔ぶれが変わってる。
常に四匹くらい餌付けしてるので、2年ごとにそっくり入れ替わるわけではないが。

考え方や環境が変われば友達が変わるのは当たり前。だけど...

これって昔から言われてること。

「捨てる」と表現するから抵抗を持つ人がいるかもしれないが、環境が大きく変われば自然と昔の友達とは会わなくなっていく。話が合わないから。

確かに親友だと思ってた友達から疎遠にされるとショックを受けるけど、普通の友達なら特に気にならない。

でもど田舎出身なので、実家に帰れば嫌でも昔の友達に会うことがある。
ずっと地元にいる人は自分のことを友達だと思ってくれるのだけど、話が合わない。
かといって友達と思って接してくる相手を邪険にするわけにはいかないし、歳の離れた妹が嫌がらせとか受ける危険があるから、極力友達として振る舞おうとする。
それが苦痛だから、法事以外では田舎に帰らない。

僕の大学までの親友は、小中、高校一年、高校二年・三年、そして大学に入ってからは、一年ごとに友達が変わってた。
大学に入ってからは、レベルが毎年上がってたから、友達が変わることが不自然だと思わなかった。

僕の場合、このとき初めて環境が変われば友達が変わるのが当たり前だとわかった。

でもやっぱり「捨てる」という表現はおかしい。

僕が父親の介護のために実家で生活するようになったら、当然疎遠になってた友達の何人かとは、また友達になるはずだから。